理論
Theory

社会学理論|sociology

 犯罪について統計学的な手法を導入し、現代的な研究の基礎を築いたのはイタリアのロンブローゾという人だと言われています。彼は犯罪者の多くは生まれつき犯罪者であり、その更生は不可能であると考えました。同時に、理性を失って犯罪を行なった者、激情に駆られて犯罪を行なった者、習慣的に犯罪を行なった者、もいる、それらは身体的な特徴によって区別できる、と考えました。彼の理論はその後否定されるのですが、やがてアメリカにおいて新しい考え方が生まれました。それはむしろ社会的状況によって犯罪が行なわれるというものです。デュルケームは、社会に大きな変動が現れるとき社会の解体が部分的にでも生じ、無規律なアノミー状態になる、犯罪はそこで行われると考えました。コーエンはこうした考えにもとづいて、高い社会的な階層では規範を守り目的を達成しようとする傾向が生じ、低階層においてはその逆が起こり、したがって非行は下層階級の文化の中で起こるだろうと考えました。
 それらは一方では犯罪が社会環境や文化によって起こること、つまり個人の生まれついての問題ではないことを取り上げ、他方では規範をどのように維持するかが大事であるとする考え方につながり、やがて社会的統制を強めるという考え方へと発展していきました。こうした考え方に対立するように登場してきたのがラベリング理論です。これは、非行文化の中で育つことで非行少年としてのラベリングが行われ、本人もそれに沿った行動様式を身につけるようになって非行をするようになるというものです。同じ環境の要因を強調するものであっても、前者が規範を強調するのに対して、後者がそのいわば副作用を強調する点において異なっており、現在の司法と福祉にわたる支援も、おおきくはこうした観点に立つものとして理解されます。
 人がなぜ犯罪を行なうのか、というこのような問題に取り組んできた研究に対し、まったく逆の問いを立てて研究を行なう人もいました。アメリカのハーシーはその代表的な人物で、彼はむしろ、人はなぜ犯罪を行なわずにいることができるのか、という観点から、犯罪を行なわない人が家族や友人、あるいは地域との絆を持っていること、それに支えられて犯罪を行なわないのだということを考えました。これに対しては、むしろ仲間との絆が強いからこそ一緒に非行をするのだという反論もあります。しかし、誰との絆であるか、ということが重要な問題であり、風の家が利用者に築いてほしいと願っているのはまさにそうした新しい絆なのです。

心理学理論|psychological theory

 上記の理論が社会と犯罪との関係についての理論であるとすれば、心理学的な研究は、個人が犯罪を行なうことについての理論を提供してきました。大きく分けると、子どもの発達に注目したものと大人の犯罪者に焦点を当てたものとがあります。前者の1つは、バンデューラによるもので、彼は子どもは自らが経験していなくても周囲の人を観察することで間接的に学習することができ、そのようにして攻撃的な行動を学習できるということを示しました。テレビなどで攻撃的なシーンを観ることが、子どもの攻撃性につながると考えたのです。また、従来、犯罪が特有のパーソナリティと結びつけられるということは次に述べるようによく見られる考え方でしたが、近年では知的障害や発達障害との関連が論じられています(必要な支援が行なわれないときに、不適切な学習の結果として犯罪に至る、というように)。この文脈で、ADHDを示す子どもが、反抗挑戦性障害、行為障害と状態を悪化させ、非行・犯罪を行なうようになるリスクについて議論がされているところです。
 成人においては、先に述べたように、犯罪が特有のパーソナリティと関連しているという考えが19世紀からありました。例えばそれは、シュナイダーの精神病質性人格、ヘアが研究を進めているサイコパシーという人格類型との関連です。しかしながら、これは説明のための分類であり、それによって心理的な支援を促すものとはなりませんでした。マーティンソンは、そうした状況に対し、これまでの処遇、更生保護は役に立たなかったという批判を1970年代に行なっています。近年では特に刑務所への過剰収容、効果的な更生保護、再犯者の増加といった関心から、またマーティンソンの批判に応える形で、大人の犯罪者についての研究が進められてきています。そこでは誰にでも効果のあるただ1つの方法があるのではなく、特定の人たちそれぞれに固有のアプローチが必要であること、それでも彼らに共通の要素をまとめ、かわりやすい部分とかわりにくい部分を分けて考えることが進められてきました。
 こうした考え方は、特に犯罪のリスク診断についての研究から生まれてきました。どのような人が犯罪を行なう危険があって、誰に支援を提供することが必要なのか、という考え方が取られるようになってきたためです。アンドリューとボンタは、これについて、RNRモデルと呼ばれる犯罪の危険性を診断する仕組みを考え、本人が持っている社会に対する危険性(risk)、本人の犯罪行為の必要性(need)、そして支援への反応度(responsivity)を重要な要素と考えました。また、本人が抱えているリスクやニーズの中には、反社会的な人格、犯罪歴、虐待の歴史など変えられない、あるいは変えにくい要素と、余暇活動や現在の人間関係の問題といった比較的変えやすい要素とがあり、それらが重なり合って犯罪を行なうと考えています。カウンセリングでは、この変えやすい要素についてかえるための手続きを認知行動療法が担っています。

精神力動|psychodynamics

 精神力動的な考えは、心理学的理論の中に含めることが出来ますが、これを取り出したのは、私たちのアプローチがこの方法に重きを置いているためです。精神力動的な理論は、フロイトが始めた精神分析にもとづいています。精神分析とは人の心には無意識の領域があり、それは意識が行動を支配する以上に人の行動を支配しているという前提に立って、その無意識とうまく折り合いをつけた生き方を模索する心理療法であり、またそのための方法です。精神力動的な(これから後はたんに力動的と言います)理論では、人が犯罪を行なうのは、無意識の働きがあるためだと考えています。
 力動的な理論は、無意識が幼少期に形成されること、健康なときにはそれが現実との接触の中で修正されていくところ無意識が修正を拒むときには人は病気になること、犯罪はそのような修正されない動機、感情、記憶、思考にもとづいていると考えること、といった特徴を持っています。ここで今、無意識「が」修正を拒むと書きました。無意識「の」修正を拒むとは書きませんでした。本人はかえられるものなら自分の心のありようをかえたいと願っています。それは意識の側の考えです。無意識の修正を拒んではいません。しかし、無意識の側がそれを拒むのです。「いやだよ、オレはこのやり方をかえないぜ」と無意識が暗黙のうちに主張します。力動的な観点とは、そのように心の中にある無意識が、本人の意図とは別の生命体のような存在として生きていて、常に両者が葛藤しているという考え方に立っています。
 たとえば、虐待の歴史は犯罪に関わる本人の中のかえられない要素だということを上に書きました。過去に虐待を受けたという事実はかえることは出来ません。そして虐待を受けた人は、同じように虐待をし、暴力を振るうことがあると言われています。全ての人がそうではないとしても、虐待を行なうリスクは高まります。かえられない要素から犯罪が発生します。それは、そうしたしつけの仕方、関わり方を虐待の中で学び、そうしたやり方が良いと考えるようになったためだと一般に言われます。しかし、力動的な観点では、虐待を受けた時に、そのことのくやしさ、恐怖、みじめさを味わった子どもが、そのまま心の中の無意識の世界にいることを考えます。生き残るために子どもは大人と同じ価値感を身につけ、虐待的に振る舞い、今度は誰かに対してみじめな思いや恐怖を感じさせます。そうすることで自分はその感情を味わわなくてすむのです。ところが、本人の側は(つまり意識的には)、そのようなことはやめたいと思っています。でもやめられないのです。なぜなら、無意識の子どもが生き延びようと虐待的なやり方にしがみついているからです。今は虐待を例に取りましたが、このようなことが心の中で起きていて、それが実際の行動として現れるときに、犯罪の形を取るということを力動的な観点は考えます。
 したがって、カウンセリングにおいては、本人の考え方をかえることに焦点を当てて作業をするのではなく、この子ども、みじめな思いをしながら生き延びようとし、そのために犯罪的な行動を良いものとして取り入れている子どもを探し、そこに働きかけ、時にこれと対立しながら、本人にもその存在に気付き、それと歩調を合わせて、この子どもが怯えなくても良い生き方を探すことを促します。こうした助けを必要としている子どもを見つける、という点で、ボウルビーによる愛着理論(それについてはこれ以上触れませんが)とも関連があります。新しい絆を取り結ぶということは、そのようにして可能になります。